「ヨーロッパの地獄」イドメニ難民キャンプ~活動記① 


場所:非公式キャンプ、イドメニ、ギリシャ

活動期間:2016年3月18日~5月20日

活動形態:ボランティア

参加NGO:A Drop in the Ocean

諸経費合計:約20万円


今日からは私の難民支援の原点となった、ギリシャ北部、マケドニアとの国境地帯に存在したイドメニ難民キャンプでの活動を紹介します。

イドメニ難民キャンプができた経緯

2016年3月9日、この日を境にヨーロッパ「難民危機」の新たな局面が始まったと言えるでしょう。

バルカン諸国を通る難民たちの数が2016年になっても大幅な減少が見込まれなかったことから、3月9日、スロヴェニアが「合法的なビザのない者の国境通過を認めない」という通知を出し、難民に対して(シリア、イラク難民以外は前年の12月にすでに通過を禁止されていた)事実上、国境を閉ざしました。

次の国の国境が通れないことから、自国に難民が溜まる事を恐れたその他のバルカン諸国もそれに続き、クロアチア、セルビア、マケドニアも同様の通知を同日中に出し、難民たちの通り道であった「バルカンルート」は事実上閉鎖されました。

この結果、海を渡ってくるために国境を封鎖できないギリシャに多くの難民が溜まることになった、と言えます。

マケドニアの国境検問所

マケドニアとの国境に位置していたイドメニ難民キャンプは、「いつ開くか分からないが、開いた時にすぐに国境を渡らなければすぐにまた閉ざされてしまうかも」という心理状態に多くの難民がなり、自然に形成された非公式の難民キャンプでした。

イドメニ難民キャンプの全容

ここからは、私がとった移動手段、そしてイドメニキャンプの初日についてご紹介します。

レスボス島からイドメニへ

2016年3月18日、レスボス島での10日間の難民支援活動を終え、私はイドメニ難民キャンプへと向かっていました。

都市の位置関係

17日に島から飛行機でアテネまで、そこでのトランジットを経て、ギリシャ第2の都市、テサロニキまで飛び、その晩は1泊20ユーロの安ホテルに宿泊。

次の日の朝、市営のバスで長距離バス駅まで向かい、長距離バスに乗り換え、1時間程の道のりを揺られ、お昼過ぎにこれから拠点となる町、ポリカストロへと到着しました。

ポリカストロ中心にある広場

そこでまず私の所属していたノルウェーのNGO団体、”A Drop in the Ocean”のノルウェー人コーディネーターからキャンプのことや、仕事の説明を受けていました。

そこでちょうど帰ってきたノルウェー人メンバーの車に乗っけてもらい、20分ほど北に高速で走り、エブゾニという村の出口で下り、さらに10分ほど走ったとこでついに、その当時、ヨーロッパでは毎日ニュースにあがっていたイドメニ難民キャンプへと到着しました。

「ここは本当にヨーロッパか」私は目を疑った

着いて車から降りてまず感じるのは、キャンプ全体を覆う悪臭

ギリシャ北部は雨が多い地域でもあるため、感染症も心配された

これは1万2000人もいる難民たちが、寒さの中(この時、夜はまだ10℃を切っており)暖をとるため、たき火をしているためです。

しかしもちろん1万2000人分なんて、木材が足りないため、プラスチックやタイヤや生ごみまで何でも燃やします。

そのため、そこにいるのが耐えられないほどの悪臭が漂っていました。

雨の日のイドメニキャンプ

私の到着時は、1週間雨がひっきりなしに降り続いた後でしたので、そこら中が泥沼で溢れ、人々は汚れた服を着、壊れた靴を履き、それでも笑顔で”hello, my friend ”とあいさつしてきたのが今でも強く印象に残っています。

初日はこの後、長靴をバックパックに詰め込めるだけ詰め込み、テントを回り、必要な人にあげるということを行いました。

2ヵ月に渡るイドメニキャンプ支援

ここから私のイドメニにおける計2ヵ月が始まりました。

人々との出会い、うれしい、そして苦い経験、見せつけられた人間の生きる底力。

イドメニキャンプの子どもたち

これから何回かに分けて、ここでの経験を紹介していきたいと思いますので、どうぞ読んであげてください。

次回は、キャンプの概要を、私がどのような場所で働いていたのかということを書きたいと思います。それでは!

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